HONDAの新型NSXの発表で久しぶりに車への興味が湧きたっている私です。価格は確かにお高めですが、NSXは昔から高い車ですのでそんなに驚きはしていません。
ただ、最近よく耳にする「若者の車離れ」という言葉がはびこる昨今でクーペなどの嗜好性が強い車は敬遠され、利便性の高い1BOXカーなどが人気の様子です。私はハイブリッドカーに乗っていますが、確かに維持費は格段に下がりましたが運転する楽しみも下がってしまいました。でもふと読んだこの記事を見て
若者の車離れが進む中「自分の車」を持つ意味とは何なのか。 – ぱつかるちゃー
やっぱりマフラーやホイールにこだわってみたり、内装を自分好みにしたりするのって楽しいですよね。そんな感覚を思い出しかけた時にこんな言葉を思い出しました。
「車高の低さは、知能の低さ」
私が車のカスタムに収入の多くをつぎ込んでいたのは約10年前。当時はセリカGT-FOUR(ST-205)に載っていました。車に興味がない人にはわかりにくいと思いますが、「車高調」という車の車高を自由に変えることができる足にしていましたのでとにかく車高が低かった。しかし当時はそれがひとつのステータスでもありました。
たしかに雑誌に載ったりショーで展示したりするとなると車高は車のバランスに合う範囲内で低い方がかっこいい場合があります。バカな人になるとロアアームバーという左右のフレームの剛性を上げるために取り付けるバーが低すぎて空き缶を数メートル引きずる等という人もいたとか…今考えると本当にアホです。
でもそれが楽しくてたまらなかった!
友人たちとの飲み会では「乾杯」のかわりに「車高の低さは?」『知能の低さ!!』(ワーオ)と言ってお互いにバカなポイントをけなしながら褒めながら楽しい時間を過ごしました。
他人とは違う事へのこだわり
車を楽しむというのは大きく2種類の人種に分かれます。ひとつは走る事への喜びを感じる人種。もうひとつは車を自分好みにカスタムする人種。前者はサーキットへ行き、運転技術を磨きます。後者は絶縁テープを持ち歩き、紙ヤスリや配線隠しが得意になります(笑)。私はどちらかというと後者で、つねに部屋の中にはピカールと配線とストリッパーが転がっていました。
RECAROシート(フルバケ)を入れてステアリング(ハンドル)は交換し、モニターを埋め込み。エアコンの操作パネルは肘置き下のBOXに収納。
センターパネルはシルバーカーボンでワンオフ作成。エンジンはキーを回してもかかりません。上にあるキルスイッチでセルが回る仕組みです。
なぜこんなことに安くもないお金をつぎ込んでいたのか…
それは、他人とは違う自分のオリジナルへのこだわりです。
車という絶対的な自分空間
若者の車離れの背景には所得の減少も影響していると思います。ですが、運転しているときはもちろん、車の中に乗り込んだ瞬間にそこには自分だけの世界が形成されます。すべての行動が自分の責任です。前に進むのも、曲がるのもすべてが自分の意志。
だからこそ免許が必要なのかもしれませんが、すべての判断が自分に責任としてかかってくる。そんな空間で路面を走っていると窓から入ってくる風、フロントガラスから見える空、店のショーウィンドゥに映る自分の車の姿、どれもが最高の時間となるのは多くの人が経験されている事と思います。
電車やバスでは味わえない最高の空間がそこにはあります。
その空間を彩るBGMにはこだわりたいですよね。その空間をくつろぐシートにもこだわりたいですよね。そんなこだわりをとことん楽しめるのも車の魅力の一つ。
友人たちと「車高の低さは知能の低さ!」などと言い合っていても、そこには相手に対する敬意しかありません。知能が低いと言われているのに相手は笑顔で喜んでるんですからね。キモ過ぎますw
ですが、若い方が本当に車離れしてるなら、再び車が若者にとってステータスになる時代が来るのを期待したいと思います。
面識も交流もありませんが、再び車への思いを思い出させてくれた「ぱつかるちゃー」の中の人に感謝です。
コメント
初めまして。ぱつかるちゃーの中の人です。
こちらのサイトから流入があり気づきました。
自分の書いた記事でまさかこんな風に思っていただけるとは思っておりませんでした。
私はもともと車には何ら興味のなかった人間ですし、最近になってサーキットへ行ってみたりもしていますが未だに免許を持っておりません。笑
こんな素敵な記事にして頂きありがとうございました。こちらこそ感謝しております!